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場面転換とストーリーの緩急 の話。

ちょっと真面目な話ね。

『走れメロス』って本があるじゃないですか。
教科書にも載ってますから皆さん御存知でしょうが、あの話が物凄く好きです。
何が素晴らしいって、あの冒頭に強く惹かれます。

『メロスは激怒した』

この一文を読むだけで、グイッと読み手をストーリーに惹き込んで来る。
いや、天才だと思いませんか?

でも、実はこの一文ってどうしても必要な文じゃないんですよね。

『メロスは不機嫌そうに市を歩いていた』だって良い訳だし、
いきなり『メロスは羊飼いで~』みたいな説明でも、全く展開に支障は生まれない。
けれど、この8文字を冒頭に持ってくる事で、ハートをキャッチしてくるわけですよ。
ツカミはオーケーなわけです、流行の言葉で。

漱石もやってますよね、この方法。
『吾輩は猫である。名前はまだ無い』なんていきなり言われたら、興味をそそられるじゃないですか。
ふっちゃけ、自分は漱石は好きじゃないんで、この話は読んでないんですが、
『話の内容はしらねーけど、冒頭の言葉は知ってるぜw』って人は自分だけでは無いんじゃないかな、と。

つまり、ただ情報を伝えるだけなら不必要なんだけど、
それ以外の面で意味がある文章って言うのが、あると思うんですね。

漫画の話ですが、鳥山明の『Drスランプ』で、ページを捲ったひとコマ目に、
拡声器を頭に乗せた豚が描いてあったりするじゃないですか。
『ペンギン村に朝が来たぞーい』とか言ってるヤツ。
あと、赤塚富士夫の漫画でも、同じようにウナギイヌが逆立ちしてたりするじゃないですか。

あれって言うのも、やはり『必要は無いけど意味がある』コマです。
あのコマがある事によって、前ページまでのシーンからの場面転換。
頭をリセットさせる効果があるわけですね。
一度、あーゆーシーンを飛ばして漫画を読んでみると、その効果の大きさに驚くと思います。

逆に、こーゆーどうでもいいコマを使わない漫画は、どうしても場面転換に頭がついて行かない。
『あ、ここで場面転換したのかな?』なんて確認しないといけないから、
ストーリーはポンポン進むのに、読み手は追いつかず。
盛り上がるべきシーンで盛り上がる事も出来ない。
ストーリーもキャラも舞台も素晴らしいのに、何故かのめりこむ事が出来ない話と言うのは、これが大きいと自分は思います。
動→動→動、だけなんですね。
動→静→動→静→動、とする事で頭が一度リセットされ、“動”のシーンでの衝撃が大きくなる訳です。
これを逆手にとって、ひたすら動→動→動、と続ければ淡々とした流れを作る事も出来ます。
シリアス→シリアス→シリアス→ギャグ、とする事でインパクトを強調する事も出来ます。

ジョーズのテーマを口ずさんでみてください。
じゃーじゃん。じゃーじゃん。じゃーじゃん。じゃーじゃん。と、タメの部分が続いて、そこから盛り上がっていくじゃないですか。
これがタメの部分が無かった場合、ただのハイテンポな曲でしかないわけですよ。
歌ってみ?
凄くよく分かるから。

余談ですが『走れメロス』の冒頭は、ヴェートーベンの運命。
いきなり、じゃじゃじゃじゃーん!!、って惹き込んで来ますよね。
ブーン系だと、ブラックジャックのヤツとか、百鬼夜行なんか凄く上手いと思いながら読んでます。
前者はまずAAからはじめる事で。
後者は古語口調の前語りを入れる事で、世界観の中に読み手さんを惹きこみますよね。

具体的な方法で言うと、自分の場合は舞台が大きく転換する場面では、1レスぎっしり地の文を詰めたレスを挟んでます。
ぶっちゃけ、その部分は特に伏線を隠してるわけでもないから、
相当マニアな人で無い限り読まなくても支障が出ないようにはしています。
が、それを入れる事で、読み手さんの無意識下に『舞台変わったな』と感じてもらいたいな、って感じです。
まぁ、これが絶対正義ってわけじゃないですけどね。
同じ舞台転換シーンのリセットでも、文猫さんはAAを使っておりました。
ただ、どこ駆けの場合はとにかく重厚感を意識しているので、地の文ぎっしりになっているだけですし。

で、ブーン系には1レス30行制限ってあるわけですが、
これっていうのは『1レス=漫画の1ページ』って考えると書きやすいと思います。
そう考えると、どこで文章を区切るか。どのコマを最新ページのひとコマ目に持ってくるかっていうのは凄く大切です。
先程の『Drスランプ』の話ですと、拡声器の豚はページのひとコマ目にいるからこそ、生きてくる。
元気玉をぶつけて倒した筈のフリーザが生きていると言うのも、
やはりページを捲った時にドーンと現れるから衝撃を感じる。
これが各ページの途中で出てきたら、やっぱり効果半減なんですよ。
ストーリーを沈み込ませるシーンが無いと、読む側は盛り上がれないんです。

高くジャンプしたいなら、グッと沈み込まなきゃいけないじゃないですか。
そうしないと、本人は高く跳んでるつもりでも、やっぱり跳べないんですよ。
速球を決めダマにするならスローボールが。カーブを生かしたいならストレートをどう使うかが大事なんです。

ストーリー展開を考える時に、盛り上がるシーンって凄く思いつくんです。
が、それを生かすために、助走をつけて沈み込むシーンを加えるって言うのは、凄く効果的だと思います。
自分の場合、書いた話を読み直してみて納得できない時は、この展開の緩急が出来ていない時が凄く多いです。
逆に緩急が上手く決まると、筆もグイグイ踊りますね。
筆が詰まった時は、一度0から書き直してみるのもいいかもしれません。
特に、静の部分を意識しながら書くと死んだテンポが生き返る時があります。

また、テンポが悪いなぁ……って時は、1レスに何でもかんでも詰めすぎていないかチェックしてみるのも効果的です。
それっていうのは、漫画で言えば細かいコマを一つのページにぎっしり詰め込んで、
しかも話をどんどん進めようとしているようなもんですから。
淡々とした場面で一気に必要性の低い情報を出してしまいたい時ならいいのですが、多用はお薦めしません。

特に、物語を大きく動かそうとしている時に、詰め込み過ぎ現象は良く起こると思います。
はっきり言って、そんなに急展開を見せ付けられても、読み手はついていけません。
マジで。
最悪、自己満足で終わっちゃいます。
まぁ、自己満足でも良いんですが、やっぱ投下するからには山場では盛り上がって欲しいじゃないですか。
一番見せつけたいシーンから逆算して、どこでタメて、どこで引き込むのか、組み替えてみると良いかもです。


まとめますと、
・ツカミのシーン。
・ストーリーの間。
・場面転換時の間。
・動と静。
・山場直前のタメ。
・1レスに詰め込む情報量の整理。

こういった、部分を意識する事で、山場が一層盛り上がり、
ストーリーに起伏が生まれるのでは無いでしょうか。
キャラだってこれと同じで、いい所ばっかりの完璧超人なんか見ていても魅力が無いじゃないですか。
そこに一つ、マイナスの特徴をつけてやる事で一気に人間らしくなると思います。
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まっすぐな道でさみしい 話。

久々に山頭火の句集をめくる。
粋とか雅とか全く分からない俺だけど、この人の言葉は何て言うか……脳髄にゾクゾクと来る。
いや、同時代の俳人である石川啄木や尾崎放哉も素晴らしいけど、
山頭火の言葉は特にリアルに感じ取れるのだ。

『咳をしてもひとり』という悲しい句を読んだのは尾崎放哉ですが、彼の言葉が望まずして辿り着いた印象を受けるのに比べ、
山頭火は自身の境遇を望み、楽しんでいた印象がある。
放哉のオマージュである『からす泣いて 私もひとり』にしてもタイトルの『まっすぐな道でさみしい』にしても、だ。

啄木は『非凡なる人のごとくにふるまへる 後のさびしさは 何にかたぐへむ(初出は 非凡なる人のごとくにふるまへる 昨日の我を 笑ふ悲しみ)』なんて詠ってますが……
どうにも背中に哀愁を漂わせている感が苦手です。
イメージ的には放哉があばら家、山頭火が自然なんですが、どうにも啄木って港のBarみたいなのがあるっていうか。
何気取ってんだこの野郎!!
お前だって人目につかないところじゃ、暇だからなんとなくちんこの皮引っぱって遊んでたらムラムラ来てそのままなし崩し的に手淫……みたいな生活してんだろ!?
いや、そうに違いない!!

……なんて思ってしまう。
お前は過去の自分をちょっと笑ってるかもしれないけど、俺はそんなお前を見て笑ってるぞ。
お前はそれに気付いてるか? みたいな。

例えば、雑踏の中を尿意を我慢して歩いている。
そんな時、ふっと『このまま漏らしたら気持ち良いだろうなぁ』なんて思ってしまう事がある。
でも、ちょっと考えれば分かることだけど、気持ち良いわけが無いのだ。
ジーンズの内股を伝う生暖かい液体は冬の外気に晒されて、あっという間に冷たくなる。
デニムが足に纏わりつき、両の足を伝い流れた尿は靴下は勿論、靴の中まで浸食していくだろう。
肉体的には最悪の環境である。
が、精神的には最高では無いか……なんて疑問が頭から離れようとしない。
そんな事、ないでしょうか?

俺の毎日なんて、常にそんなもんだ。
エスカレーターを見れば逆走したくなり、猛犬注意の張り紙を見れば生肉を放り投げたくなる。
酔った勢いで深夜の小学校の校庭でキャンプファイヤーat全裸なんて、何度実行しようと考えた事だろう。
それを為さないのは単に俺が社会に縛られているからに他ならず。
奇行を実行しなかった安堵と後悔の繰り返しだ。

平凡を求めながらも、心のどこかで非凡を望んでしまう矛盾。
ありきたりの幸せを欲しながらも、放浪の日々に憧れてしまう二律相反。
その人間臭さこそが山頭火の魅力では無いだろうかと思う。

まっすぐな道でさみしい。
この言葉を初めて目にした時、俺は真正面に夕焼けを臨む川原の道を連想した。
右手には田圃。
左手に土手。
フェンスなんて無粋な物は無く、子供達の声も聞こえない。
そして振り返ると、足元から長く伸びた自分の影だけがある。
そんな光景を想像した。

自分の望む生き方をまっすぐに追い求めて、ただそれだけだった寂しさと滑稽さ。
この短い言葉の中には、そんな感情を感じてしまうのです。

まっすぐな道でさみしい―種田山頭火外伝 (1) (モーニングKC (896))まっすぐな道でさみしい―種田山頭火外伝 (1) (モーニングKC (896))
(2003/07/23)
いわしげ 孝

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俺が山頭火に嵌ったきっかけの漫画。
興味がある方は是非。

知識 の話

唐突だけど、ブーン系に限らず、書き手の知識が現れている作品って本当に面白いと思う。

例えば、歩くようですの臨場感。
競輪やトライアスロン、高校バスケのリアルさ。
天国や丸い部屋で感じた恐怖。
btcmの人が書く戦闘シーンは、格闘技経験者ならではの凄みがある。
アルファベットの作者さんは「ソープに行け」の人が好きとどこかで読んだ気がするけど、一体何十回読み返したんだろう。

ブーン系以外では遠藤周作、ヘミングウェイ、モーム、各国のシェフのエッセイなんかも面白い。
料理本と言えばどうしてもレシピ本が頭に浮かぶけど、実際に読んで料理への興味を引くのはエッセイや小説だ。
最近だと『南極料理人』が映画になったけど、騙されたと思って読んでみて欲しい。

話を戻すと、これらの知識は書き手さんが経験、もしくは書物によって得てきた物なんだろうと思う。
( ^ω^)系作者が好きな書物についてひたすら語りあうようです。とかスレ立てたら、
あっという間に1000いくんじゃないだろうか?

知識と言う物はあればあるほど身を助けてくれるもので。
例えば、今日は『どこ駆けでハインやヒートがパンツ見せながら戦ってるけど、時代考証的にはどうなんだろう?』
みたいな本気でどうでもいい疑問を解決する為、図書館に篭もっていた。
どうやらローマ時代にはビキニの原型があったらしく、考証的には間違っていなかった訳だけど、
それだけでなく非常に有意義な無駄知識を蓄える事が出来た。

書物で得られる知識と言うのは本当に便利だ。
当然、経験でしか得られない。深められない知識は無限に存在する。
が、いくら俺が永遠の17歳だとしても、全ての知識を経験から得るのは不可能だ。
前屈で90度曲がらない俺にどうやって少林寺を極めろと言うのか?
また、今から中世欧州の生活を経験から学び取る事も出来ない。
経験では得られない知識と言うのもまた、無限に存在するのだ。
それを真に理解した時、書物による知識が、経験のサポート役ではなく、本流となる可能性が開ける。

今日得た知識なんだけど、正座が発祥した由来を御存知でしょうか?
実は鎌倉時代には女性も胡坐をかいていたらしい。
それが室町時代には正座をするようになっている。
というのも、鎌倉時代までは女性も袴を穿いていたらしいのね。
でも、女性が袴を穿かなくなってから、胡坐をかくと色々と見せちゃいけない部分が見えるようになってしまった。
当時は女性の下着と言えば腰巻でしたから。
そんなわけで、裾が広がらない正座が主流になったわけですね。

で、どこ駆けが時代背景を設定しているのは西暦だと1400年代前半。
この時代、下着は文化にどのような影響を与えたのか?

実は、十字軍全盛期、欧州では下着に関する面白い流行があったらしいんです。
それは、愛し合う男女が下着を贈りあう事。
ただ贈りあうだけではありません。
男性は戦場で討ち取った敵軍将官の血まみれの下着を女性に贈り、
女性はそれを愛する人が勇敢である事を示す為に身につけて見せびらかす。
女性は男性に自分の下着を贈り、男性もそれを身につけて、わざわざズボンに穴をあけたりして見せびらかす。

ち*゚∀゚)ー『……』

正気の沙汰じゃありません。
ですが、これって言うのは、経験じゃ得られない知識です。
ぶっちゃけ、どうでもいい知識なんですが、
こーゆー馬鹿馬鹿しい事柄でも少しづつ消化していくのは、作品にとって必ず良い影響を現してくれると思います。

ここまで書いて思ったのですが、自分が非常に嫌っているおはなし(小説と呼ぶ事すらおこがましい)がありまして。
えぇ、ここまで嫌悪するのは珍しいですよ。
それって言うのは、知識を吸収しておらず、ひたすら羅列しているだけに感じるからなんでしょう。

世界中の魔術や宗教観をごちゃ混ぜにした混合物を、現代の仮想空間に放り込み、
その解釈も全部無茶苦茶。書き手のご都合主義。
量はあっても中身がない。
普通なら、神教一つ取ってみても、それだけで膨大な情報が詰まってるんです。
それを表面だけなぞっているだけだから、深みも何も無い。
挙句の果てに魔術やら超能力やら変な組織やら出てくるわ、
上から目線で説教臭いわ……。

もうね、歴史マニアとしては歴史に対する冒涜としか思えないんですよね。
炒飯を何食か喰っただけで『俺は中華料理を極めたぜ』って言ってる奴がいたら滑稽じゃないですか?
で、そいつが偉そうに『中華とは何か?』とか語り始めたら……
普通ならコメカミにドリルとかでも文句は言えないですよ。本気で。
これは知識を身につけているんじゃなくて、振り回されているっていうんです。

知識を得ることは大事。
でも、知識に振り回される事は恥。
書物によってしか得られぬ知識というのは非現実的事項が多く、
時折このような罠が待ち構えている。
裸の王様にならぬよう、常に心がけないといけないと思いました。

奇跡 の話

「作品の山場を奇跡で解決した場合の評価」について。
たけし→天国さん&ほのぼのさんが考察されているテーマですが。

結論から言いますと、
奇跡とは絶対に起きてはいけない物
だと思います。

つまり、反則。裏技なんです。
ギャグならまだしも、シリアスでは絶対にやってはいけない。
それが奇跡による解決です。
と、言いますのも、奇跡とは“起こり得ぬと知りつつも、それを求めなくてはいけない”状況や心理にこそ意味があると思うからです。

天国氏は『奇跡にはネガティブな物とポジティブな物があるのではないか』と考察されています。
この分類は天国氏という人物の視点だからこそ見出せた物ではないでしょうか。
少なくとも自分は、氏の考察に強く頷かされました。

では、この分類に基づきまして持論を展開させていただきますと……。
まず、ネガティブな奇跡の場合、それが山場に相当する機会その物が存在しない、のです。

例えば、自作『料理人になるようです』では、作中登場人物の一人クーが突然死しました。
が、大切なのは彼女が生きてきた人生や残された者達の心境。
つまり、『起こり得ないけれども生き返って欲しい』と奇跡を望む気持ちと『それを有り得ないと否定する』気持ちとが、テーマに変わるわけです。

表合作版『料理人になるようです』では、datと言う奇跡で彼女は束の間の復活を果たしますが、
それも『生き返った奇跡』が主題ではなく、彼女が限られた時間で何を伝えるか、が本題でした。

落雷という奇跡によって崩壊したバベルの塔の話もありますが、これも大切なのは落雷という『奇跡』ではありません。
大切なのは、そこに至る人類の慢心や、その後の反省や没落部分であるはずです。

そういった部分を無視すると、
『昔、一人の男が家を建てようとしていました。ところが突然雷が落ちて、家は崩壊。
男は死んでしまいました。終わり』
なんていう起承転結も糞も無い話が出来上がる。
新聞の三行記事ならまだしも、ストーリーとしては1点もあげられるもんじゃありません。

ポジティブな奇跡については、更に有り得ない。
例えば、またもや自作品の話になりますが『どこまでも駆けるようです』第2部最終話で、
ヴィップ将校を片っ端から討ち破ったフォックスの真下から、突然局地的噴火が前触れも無く起こって吹き飛ばされたら?
これはもう、完全なギャグです。
ジャンプの打ち切りでもここまで酷くありません。

つまり、私的考察としましては『奇跡によって全部解決。バンザーイ』はありえぬわけです。
ただ、『解決の糸口となる奇跡的出来事のスイッチを設置する場所』によって、
奇跡でも何でもない出来事を『奇跡的な物』として表現する事は出来ると思います。

例えば、ドラゴンボール。
フリーザと言う圧倒的強敵に対して悟空は伝説のスーパーサイヤ人に変身する奇跡を見せるわけですが、
これというのは事前に『悟空=サイヤ人』『スーパーサイヤ人というのが存在する』
という伏線があったからこそ成り立つものであって、もしこの事前情報が無かったら、読者は( ゚д゚)ポカーンです。
つまり、『事前情報という伏線』を敷く事によって奇跡は『必然』もしくは『可能性の一つ』となっていた。
ですから、実はこれは正確に言えば奇跡ではないわけです。

逆に、ダイの大冒険。
主人公パーティのヒュンケルが死に掛けているところに、死んだ筈のラーハルトが味方として登場!!
しかも強い強い……一人で無双の活躍をして『実はあの時……』と語りだす。
これは所謂『後付け』であって、奇跡でもなんでもない。
個人的にこの漫画はギャグ漫画のカテゴリーなのですが、
それはこの漫画が『後付け』による『奇跡』を連発しているからだと思っています。
もし、アバンにしろラーハルトにしろ一コマでも『復活』を匂わせるシーンがあれば別だったのでしょうが。

BLEACHの戦闘というコピペがありまして。

A「これが私の本気です」
B「私はその倍強いです」
A「実は実力を隠してました」
B「私もまだ本気ではありません」
A「体に反動が来ますが飛躍的にパワーアップする術を使わせていただきます」
B「ならば私も拘束具を外します」
A「秘められた力が覚醒しました」
B「私は特殊な種族の血を引いており、ピンチになるとその血が力をもたらします」
A「覚悟によって過去を断ち切ることで無意識に押さえ込んでいた力が解放されます」
B「愛する人の想いが私を立ち上がらせます」

お前は俺を笑い死にさせたいのか、と。
何の事前情報も出さずに後付けによる奇跡を連続させると、
このようなオシャレ系バトルギャグ漫画が完成するわけです。

まとめますと、まず『奇跡とは起こしてはいけない』。
何故なら、その奇跡を望む心理や状況こそがストーリーの根底になるからです。

『梅干の種を喉に詰まらせて魔王が窒息死。世界は平和になりました』
だけで終わる話に何の価値があるでしょう?
だったら、『魔王が梅干を毎日食べる事を知り、喉に詰まりやすい梅干の種を品種改良で作りあげる農夫』
の話の方が、億万倍の価値があります。

それでも『奇跡的な解決』を表現したいのならば、手段は2つ。
一つが『伏線』によって『可能性』を匂わせておく事。
これが巧妙であればあるほど読者に『奇跡』を感じさせる効果が高いと思います。
逆に、伏線を常に表に出して『必然性』を匂わせると、衝撃展開よりも熱血展開を重視した、
王道になっていくわけですね。

もう一つが『後付け』。
これはどんな時でも使える便利な代物ですが、多用すると『奇跡的な解決』のありがたみが薄れ、
最終的には『お約束』に成り下がる諸刃の剣でもあります。
使用できたとして、一度。
それも、読み手が全く気付かなかった伏線やミスリードを貼っておいて、初めて真価を発揮できるのでは無いでしょうか?

つまるところ、どちらにしてもこれらは奇跡でも何でもない。
散々、経済・戦略・戦術の結びつきを説いて来た者の持論に過ぎませんが、
世の中の全ての事象には繋がりがあり、それを無視して突然出てきた『奇跡』はコメディでしかないのです。

奇跡など起こり得ぬと知りながら、それでも抗い続ける勇気や堕ちていった悲しみと言った人間賛歌こそ美しいのであり、
それこそが真の奇跡である、と言うのが私なりの結論です。

バックボーン の話

お嬢様とブーン、が大好きだ。
ツンがデレて行く過程が可愛くて仕方が無い。
荒川の土手で一人ニヤニヤしてしまう。

でも、この作品。
初期のツンってムカつく女だったじゃないですか?
どうしても、今のツンを見ていても昔のツンの影がチラチラするんですね。

では、この昔のツンが書かれていなかったら、この作品は面白いか?
答えはNOである。
ツンツン状態と言うバックがしっかり根を下ろしているからこそ、デレ時のツンが輝いているのではないでしょうか?

兄者がボケて弟者が突っ込めばそれでいいのか?
自分はそれだけでは無いと思う。
兄者は兄としての強さがあるからボケるのだし、弟者は何だかんだで弟としてそんな兄を尊敬しているから突っ込む。
兄者は弟に道を譲る為に三枚目に徹し、弟者は兄を越えたくて仕方が無いから強く出る。
そう言った背景を持った兄弟のやり取りは生き生きとしていて本当に楽しい。
たとえそれが作品の表に出てこなくても、会話の端々からそう言った作者の考えが読み取れると、
ついうっかり数字板に篭もりたくなる。

ツンはよくキャラを動かすのが難しいと言われる。
自分もそう思っていた。
が、どうしてξ゚⊿゚)ξはツンツンするのか?
愛情表現の仕方を知らないのか?
気が弱くて強がっているのか?
はたまた男勝りなだけなのか?
人見知りが激しいのか?
男嫌いなのか?
こう言ったバックボーンを考えてキャラを作ってみると、これ程までに書いていて面白いキャラも珍しい。

これは川 ゚ -゚)も同じで、ただ男言葉を淡々と話させるよりも「何故クールな性格になったのか?」という
面を考えてみると、深みが出ると思う。
コネクトや歩くのクーは影に狂気を潜ませているが、この狂気の一面がクールな性格を形作ってい一因だとすれば、
人間臭さを感じて当然なのかもしれない。

自作品においてはようやくξ゚⊿゚)ξが表舞台に名乗りを挙げた訳だけど、
第一部や第二部の存在なくしてξ゚⊿゚)ξの思想が成立したかと言うと、自分にはどうしてもそう思えない。
もし、このバックボーンが無かったらツンの言葉の1つ1つが軽い物であっただろうし、
説得力の欠片もなかったはずだ。
だから、投下時に「ツンは強くなったなぁ」というレスがあるたび、本当に嬉しかったのを覚えている。

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cook0525

Author:cook0525
さっき耳を動かして遊んでいたら、
なんかみんな耳なんか動かせないとか言い出して
うん分かった明日から無人島でくらすよ。

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