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奇跡 の話

「作品の山場を奇跡で解決した場合の評価」について。
たけし→天国さん&ほのぼのさんが考察されているテーマですが。

結論から言いますと、
奇跡とは絶対に起きてはいけない物
だと思います。

つまり、反則。裏技なんです。
ギャグならまだしも、シリアスでは絶対にやってはいけない。
それが奇跡による解決です。
と、言いますのも、奇跡とは“起こり得ぬと知りつつも、それを求めなくてはいけない”状況や心理にこそ意味があると思うからです。

天国氏は『奇跡にはネガティブな物とポジティブな物があるのではないか』と考察されています。
この分類は天国氏という人物の視点だからこそ見出せた物ではないでしょうか。
少なくとも自分は、氏の考察に強く頷かされました。

では、この分類に基づきまして持論を展開させていただきますと……。
まず、ネガティブな奇跡の場合、それが山場に相当する機会その物が存在しない、のです。

例えば、自作『料理人になるようです』では、作中登場人物の一人クーが突然死しました。
が、大切なのは彼女が生きてきた人生や残された者達の心境。
つまり、『起こり得ないけれども生き返って欲しい』と奇跡を望む気持ちと『それを有り得ないと否定する』気持ちとが、テーマに変わるわけです。

表合作版『料理人になるようです』では、datと言う奇跡で彼女は束の間の復活を果たしますが、
それも『生き返った奇跡』が主題ではなく、彼女が限られた時間で何を伝えるか、が本題でした。

落雷という奇跡によって崩壊したバベルの塔の話もありますが、これも大切なのは落雷という『奇跡』ではありません。
大切なのは、そこに至る人類の慢心や、その後の反省や没落部分であるはずです。

そういった部分を無視すると、
『昔、一人の男が家を建てようとしていました。ところが突然雷が落ちて、家は崩壊。
男は死んでしまいました。終わり』
なんていう起承転結も糞も無い話が出来上がる。
新聞の三行記事ならまだしも、ストーリーとしては1点もあげられるもんじゃありません。

ポジティブな奇跡については、更に有り得ない。
例えば、またもや自作品の話になりますが『どこまでも駆けるようです』第2部最終話で、
ヴィップ将校を片っ端から討ち破ったフォックスの真下から、突然局地的噴火が前触れも無く起こって吹き飛ばされたら?
これはもう、完全なギャグです。
ジャンプの打ち切りでもここまで酷くありません。

つまり、私的考察としましては『奇跡によって全部解決。バンザーイ』はありえぬわけです。
ただ、『解決の糸口となる奇跡的出来事のスイッチを設置する場所』によって、
奇跡でも何でもない出来事を『奇跡的な物』として表現する事は出来ると思います。

例えば、ドラゴンボール。
フリーザと言う圧倒的強敵に対して悟空は伝説のスーパーサイヤ人に変身する奇跡を見せるわけですが、
これというのは事前に『悟空=サイヤ人』『スーパーサイヤ人というのが存在する』
という伏線があったからこそ成り立つものであって、もしこの事前情報が無かったら、読者は( ゚д゚)ポカーンです。
つまり、『事前情報という伏線』を敷く事によって奇跡は『必然』もしくは『可能性の一つ』となっていた。
ですから、実はこれは正確に言えば奇跡ではないわけです。

逆に、ダイの大冒険。
主人公パーティのヒュンケルが死に掛けているところに、死んだ筈のラーハルトが味方として登場!!
しかも強い強い……一人で無双の活躍をして『実はあの時……』と語りだす。
これは所謂『後付け』であって、奇跡でもなんでもない。
個人的にこの漫画はギャグ漫画のカテゴリーなのですが、
それはこの漫画が『後付け』による『奇跡』を連発しているからだと思っています。
もし、アバンにしろラーハルトにしろ一コマでも『復活』を匂わせるシーンがあれば別だったのでしょうが。

BLEACHの戦闘というコピペがありまして。

A「これが私の本気です」
B「私はその倍強いです」
A「実は実力を隠してました」
B「私もまだ本気ではありません」
A「体に反動が来ますが飛躍的にパワーアップする術を使わせていただきます」
B「ならば私も拘束具を外します」
A「秘められた力が覚醒しました」
B「私は特殊な種族の血を引いており、ピンチになるとその血が力をもたらします」
A「覚悟によって過去を断ち切ることで無意識に押さえ込んでいた力が解放されます」
B「愛する人の想いが私を立ち上がらせます」

お前は俺を笑い死にさせたいのか、と。
何の事前情報も出さずに後付けによる奇跡を連続させると、
このようなオシャレ系バトルギャグ漫画が完成するわけです。

まとめますと、まず『奇跡とは起こしてはいけない』。
何故なら、その奇跡を望む心理や状況こそがストーリーの根底になるからです。

『梅干の種を喉に詰まらせて魔王が窒息死。世界は平和になりました』
だけで終わる話に何の価値があるでしょう?
だったら、『魔王が梅干を毎日食べる事を知り、喉に詰まりやすい梅干の種を品種改良で作りあげる農夫』
の話の方が、億万倍の価値があります。

それでも『奇跡的な解決』を表現したいのならば、手段は2つ。
一つが『伏線』によって『可能性』を匂わせておく事。
これが巧妙であればあるほど読者に『奇跡』を感じさせる効果が高いと思います。
逆に、伏線を常に表に出して『必然性』を匂わせると、衝撃展開よりも熱血展開を重視した、
王道になっていくわけですね。

もう一つが『後付け』。
これはどんな時でも使える便利な代物ですが、多用すると『奇跡的な解決』のありがたみが薄れ、
最終的には『お約束』に成り下がる諸刃の剣でもあります。
使用できたとして、一度。
それも、読み手が全く気付かなかった伏線やミスリードを貼っておいて、初めて真価を発揮できるのでは無いでしょうか?

つまるところ、どちらにしてもこれらは奇跡でも何でもない。
散々、経済・戦略・戦術の結びつきを説いて来た者の持論に過ぎませんが、
世の中の全ての事象には繋がりがあり、それを無視して突然出てきた『奇跡』はコメディでしかないのです。

奇跡など起こり得ぬと知りながら、それでも抗い続ける勇気や堕ちていった悲しみと言った人間賛歌こそ美しいのであり、
それこそが真の奇跡である、と言うのが私なりの結論です。
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No title

いやでもそれ奇跡ですよね
屁理屈で奇跡って言う単語を使わないようにしてるだけで
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cook0525

Author:cook0525
さっき耳を動かして遊んでいたら、
なんかみんな耳なんか動かせないとか言い出して
うん分かった明日から無人島でくらすよ。

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